第2章 12話 悲運の人魚〜幻の言葉〜
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 身体に絡まった物体が彼女を取り巻いていた。 鮮やか過ぎるほどの赤――血は海にとけることはない。
「封印石のせいなのか……」
 ヴァンは犠牲となった少女を痛々しくて見ていられなかった。 青白い身体、それは死を意味している。彼女の鱗もぼろぼろだった。 瞳からは血の涙が一筋流れる。悲しいのか、それとも憎いのかはわからない。 その血は水にとけることなく水中を漂い、睨んだ先のレウィーナのほうへ浮遊する。
「アイファ……」
 レウィーナはもう一度彼女の名を呼んだ。 哀しみが増したこの感情だけが貫く。だがやはり反応はなく、彼女は俯いた。 アイファの姿自体に憎しみが宿り、今はそれだけが彼女を動かしている。 封印石の力がそれを増幅させてしまったのだろうか。 それがあの血波が生まれてしまった。もうあの少女ではないのだろう。
「……封印石をとれば声も届きますね、ユース様」
 確信めいたその言葉を発すると同時にアーチェは腰布を探り、短剣を取り出した。 銀色に鈍く光った刃をアイファへと向ける。
「確かにその通りですが……アーチェ、手は出さないでください」
「ユース様……しかし、あれでは――」
「ここまで状況が悪化しているにしろアイファさんと封印石が溶け込みすぎています。 ……そう簡単にあれを取ることはできません。それにこれはあの二人の問題でもありますから……」
 ユース自身苛立たしかった。自分の一族の護っていた石がここまでのことを引き起こす。 本来なら自分でやらねばならないことだ。けれどこれ以上は踏み込めなかった。
「けど、方法はないんですかっ!? ……またあの波がきます」
 ジルハの言葉は当たっているに等しかった。血波は徐々に膨らみ始めている。 それにレウィーナは目がさめたかのように前を見据えた。 彼女は何も躊躇い無くアイファに近づいていった。
「ごめん……あの時わたしは何も護れなかった。彼さえも……護れなかった。 ただ逃げる事しかできなくて、あなたを助ける事無く一人水中庭園に戻っていた……」
 彼女は振り向く事はなく、ただアイファのほうに近づく。 顔を見ることはできないがその震えた言葉からレウィーナは泣いていることがヴァンたちにわかった。 だがアイファは睨みつけたまま片手を振り上げた。それと同時に血が無数に飛び散りレウィーナを襲った。 前と同じようにその瞳に感情は表れていない。何かに操られているかのように―― ユースは水のベールの上から結界を張った。蒼白の光が覆い、血の弾丸ははじかれる。 だが離れたレウィーナにまで結界を張るほどの力は残っていない。
「レウィーナ!」
 ジルハが彼女を呼び止めようと叫んだ。もう誰も自分の前で亡くなってほしくない。 そんな思いが言葉からヴァンにと伝わる。ジルハは一番死を恐れているのかもしれない。
 だが血の弾丸は容赦なく襲ってくる。
「平気……あなたがわたしに死んでというのならいいわ。あなたが死んだのはわたしのせいだもんね……」
 両腕を前にかかげながらも彼女に近づいていった。 包帯が破れ古傷にも容赦なく襲い続ける。 だがレウィーナは進み続けた。少しずつ後ず去っていくアイファを追う。 血の弾丸の激しさは徐々におさまっていく。瞳には微かだが表情が出始めたからだ。
「大丈夫……わたしは……」
 そしてレウィーナはアイファを強く抱きしめた。 血が通っていない冷たい体に改めて彼女の死を実感したような気がした。 耳元でそっとアイファに言葉を告げる。 それは今まで伝えることができなかった言葉でもあった。
「レ……ウィー……」
 告げた言葉に反応したのか、アイファの口がはじめて動いた。 その小さな自分を呼ぶ声をレウィーナは確かにしっかりと聞き取った。 血の涙は次第に透明に変化し、瞳はまっすぐとレウィーナの顔を写している。
「アイファ……」
 弾丸の勢いは止まりブラッド・ウェーブの塊はその場からはじけとんだ。 海の水と交わることの無かった血はゆっくりと溶け込み始めた。 同時に、額に埋め込まれた封印石が蒼白く光り輝いた。 欠片はがれその場に落ちると同時にアイファの身体は少しずつ消えていく。 その表情に憎しみはなく笑顔で満ちていた。 彼女は最後にレウィーナにしか聞こえないような声でそっと呟いた。 レウィーナはその言葉を聞くと涙を流しながらも笑みを浮かべた。 アイファの身体は消え、彼女がつけていた鍵と欠片だけが残った。
「なんで元に戻ったんだ……?」
「多分……レウィーナの"思い"の力のほうが強かったんじゃないでしょうか」
 ヴァンの問いに返答するとユースはそっと立ち上がった。 すこしふらつきながらもレウィーナのほうに近づくと封印石の欠片を拾い上げた。 小さな欠片だけでもこのような事態を引き起こしてしまった禍々しい存在を―― 彼女はレウィーナに近づくと慰めるかのように触れるように肩を叩いた。
「アイファさん、ちゃんと天にいけましたね……」
「うん……そうだといいな……」
 一緒の人界ではないけれど天界に彼女はいけた。そう信じていたかった。 レウィーナは足元に落ちている鍵型を拾った。 彼の日記の鍵、何故彼女がもっているかはわからないままだ。 でも解ったものはたくさんあった。それを抱きしめながらまた涙を流した。 残された傷跡は大きくても何時かは癒える。一粒の綺麗な涙が鍵に跡を残した。

*…*…*…*…*

 もうこの島を血波が襲うことはない。 だがいつか沈んでしまうだろう島、解決しても人が戻ってくるわけではない。 封印石がもたらした被害は甚大だ。だが過去を振り返っても何も戻りはしなかった。
「……で、なんでレウィーナまで旅についてくることになってんだ?」
 調子のよい声でヴァンはユースに面と向かって言った。 蒼い光から生み出される飛空艇は段々と出来上がっていく。 不思議としかいえない状況だが彼女にとっては簡単なことだ。
「何故って、あの日からしばらくレウィーナにお世話にもなりましたし。それに封印石のことを教えたら一緒に行きたいといったからですよ」
 ブラッド・ウェーブのことが一段落ついた後だった。 ユースは能力の使いすぎのせいからか、しばらく動くことができなかった。 そして関わっていたものを教えないのも悪いと思いレウィーナに話したのだ。
「……ヴァンがいうことはないと思うけれど? あんただって成り行きのようなものだし」
 アーチェは飽きれたように言った。その言葉にヴァンはぎくりとし声を上げる。
「なっ! 別に関係ねーだろ!」
「図星か……」
 アーチェがそういうとユースは笑った。自分より年上はずの彼の子供っぽい部分は真似をしてみたいものだ。 そのせいかヴァンの顔が一気に赤面し、踵を返し走っていった。
「ヴァンさん! ジルハとレウィーナを呼んできてくださいね」
 聞こえたかどうかはわからないが彼ならきっと呼んでくるだろう。
「そういえば、次はどちらへ向かわれますか? またリアズ大陸へ戻ります?」
「……海を越えて"グリエット大陸"に向かおうかと思います」
「そうですか……」
 リアズ・グリエット・ガリア・ラシャ、人界に存在する4大陸で回ってないのはその大陸だけだった。 その大陸はユースにとってもアーチェにとっても辛い思い出がある。 何があるのかわかったかのようにアーチェは呟いた。

*…*…*…*…*

「一緒に行ってどうするんだ?」
 ジルハはレウィーナに問う。彼女は何を目的でついてくつもりなのか知りたかった。 海からあがったレウィーナの髪は短く切ってあり、以前の彼女とは違う雰囲気がしていた。 藍色の髪が風でたなびいた。彼女はジルハの言葉をきくと笑った。
「そうだなぁ……とにかくいろんなところを回ってみようと思って」
 自分は何も知らなかった。鱗族のことしかわからない。だから世界を見るにはいい機会なのだ。
「とはいっても今回あったことを遠くの海にいる鱗族に伝える任を頼まれたの。だからついでに……って感じかな? それに今回のことでいろいろとあなたたちに助けてもらったし、借りを返す意味でもね」
「でもレウィーナ――」
「……レウィーナじゃなくて"レウィー"のほうがいいな?」
 ジルハの言葉を閉ざしレウィーナはそう笑いながら言った。 今まで呼ばれていた名、あの時以来そう呼ばれるのが怖かった。 だが今は違う。それを乗り越えていくことができることを知った。 澄み切った海の先を見つめた。昔、水上都市があった珊瑚礁の残骸が残っている。 思い出の場所には2人がいる気がした。自分に向かった微笑んでいるかのように――
「……レウィー、あのときアイファ……最後になんて言ったんだ?」
「それは秘密」
 その言葉にジルハはムッとしたがこれだけは話せない。 砂浜を1歩ずつ歩く。波が足跡を消した。いつかこの島もなくなるのだろう。 思い出と共に――そう考えると彼女は虚しくなり俯いた。 結局最後までアイファの亡き骸を見つけることはできなかった。 あの時一緒に消えてしまったのだろう。唯一残ったのは首から提げてる鍵のみだ。
「おい、お前らそろそろだってさ」
 沈黙を破るかのようにヴァンの言葉が響く。 それに答えるかのようにジルハは走った。 フォールが彼の肩に乗り、長い尻尾がゆれていた。
 レウィーナは空を見上げた。
海と同じように澄み切った空には雲ひとつなかった。彼女はふとアイファに告げた最後の言葉を口にした。
「大好きだよ」
 その言葉は確かに彼女に届いた。そう信じたかった。 レウィーナは遅れながらも走り出した。 その瞳には何か決意したかのように、空に彼女の姿を重ね言葉を思い出した。 最後にくれた優しい言葉を。


――レウィー、大好きだよ……今度こそ、幸せになってね?

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