第3章 35話 翠色の一族〜運命の存知〜
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 水が滴る音が途切れ途切れに聞こえていた。じめじめとした床は作りが悪く、敷かれた煉瓦も湿っていた。 暗闇に目が慣れるのに時間がかかってしまった。ゆっくりと身体を起こすと衣擦れの音がよく響いた。
「アーチェ? ……起きたようですね」
 透き通るようなユースの声にアーチェはやっと意識がはっきりしたような気がした。 だが彼女の姿は側には無かった。辺りを見回してみると鉄格子がたっていた。 その先、向こう側の鉄格子の中に彼女はいた。暗闇でよくは見えないが、銀色の髪がかすかに光る。
「ここは地下の檻房です。アーチェは四日間眠っていましたが――」
 アーチェは四日前に王の前で倒れ、それからの記憶が無かった。予想はついていたが、今いる場が地下の檻房なのならばユースはずっとそこにいたのだ。いくら宮殿だとしても粗末な扱いは目にみえていた。
「ユース様、大丈夫ですか?」
「アーチェはどうなんですか。私のことを心配するよりも自身の心配をしてください。……欠乏症のこと、どうして黙っていたんですか?」
 すぐさま返されてくる声には怒りが含まれているかのようだった。 冷たい言葉にアーチェはどうすれば良いのかわからなくなってしまう。
「それは……護人なのに主に心配をかけるのは――」
「心配しますよ。心配ぐらいさせてください。隠しているほうがもっと嫌です。 ……でも良かったです。倒れた後に医師の方がちゃんと診てくださったそうですから。運ばれてきたのを……覚えてはいませんね」
 医師といっても、欠乏症のことをわかっている者は少ないはずだ。 あまり知名度の高い病気ではない。処置法が解らなかったに違いないだろう。カナタの薬が切れたのは予定外だった。 まだだるいが、重かった身体は大分楽になっていた。久しぶりに眠ったせいだろうか。
「申し訳ありません……」
「私の刑の実行は明後日だそうです。……年が明けると同時に、ですね」
 淡々と告げるユースの言葉にアーチェは鉄格子に身を乗り出した。 手に鉄の冷たさが刺す。隔てられたその先がとても遠く感じられた。
 彼女は自分が死ぬことをどんな風に思っているのだろう。
「ユース様、逃げましょう。そんな横暴な刑などで――」
「……私は一体何なんでしょうね。沢山の人に迷惑をかけて、護ってもらって……使命も果たせないまま死んでいく。そんな自分が凄い嫌いです。けれどそれが……私の罪ならば仕方がありません」
「そんな……罪があるならあたしも同じです! けれどユース様――」
「ですが、せめて自分を待っている"使命"だけは果たせて欲しいです」
 彼女はまだ諦めていなかった。それがアーチェは嬉しく思えた。逃げる意志はあるのだ。それでこそ護りたいと思い続けた少女の姿だ。
 だが自分自身の私欲は無く、唯"使命"だけのために生きるようにも聞こえた。自分の未来に諦めを持った言葉のように聞こえる。
「……使命を投げ出そうとは思わないのですね。ユース様は……エルエン族に生まれて良かったと思うことはありますか?」
 自分がランフォード族に生まれたからそんな風に考えるのだろう。一族に生まれてよかったことなどない。使命という重みに縛られ生きる、それがたまらなく嫌だった。それを変えたくてユースについたのだから。
 声は震えていた。彼女も自分と同じであって欲しいと、そう願いたかった。
「確かにエルエン族に生まれて良かったと思えることは……正直ありません。 この使命も投げ出せたらどんなに楽なのでしょうか。でもだからこそ出会いがあったんだと思います。そう思えるのなら嬉しいんです」
 違った。
 自分と違う。この人は自分と同じではない。
 そんな感情がアーチェの中で駆け巡る。
「アーチェ、使命が重荷だと感じるのなら切り捨ててもいいんですよ。 それがどのような結果になっても。私も……もう大丈夫ですから」
 ユースはそう言い放つとピアスに触れた。白くも青くも見える青金石、送り主を思い出す。 使命のために生きてきたからこその出会いだ。
 護られるだけの存在である自分とは別れた。自分が今度は護りたい。
 だからこそ、アーチェを解放しなければならないと――
「それは……もうあたしが必要ない、ということですか?」
 震えた声は段々と涙声へと変わっていく。必要でなくなる存在になるのは自分の存在意義がなくなってしまう。 この方にとって自分はもういらないのだ――頬を伝い、涙が床を跳ねた。
「違いますよ。……私とアーチェの関係は確かに使命というもので繋がっているのかもしれません。 その関係はもう……終わりにしましょう? 私はランフォードのアーチェではなく、アーチェ自身とお話がしたいんです」
「ユース様……」
 "ランフォード"ではない"アーチェ"。それは自分が望んでいたことだ。
 使命を捨てて生きること、彼女はそれをわかっていてくれている。でもいざとなるとどうしても前には進めない。
「本当のこと……言ってもいいですか? ……ユース様、って呼ばれたくないんです。 私はそんな呼び方されるほどの人物ではありません。本当は護られるだけの存在なんて嫌なんです」
「ユースさ――」
 彼女の本音を聞き、アーチェは一度放とうとしたその言葉を最後まで言わなかった。 今まで自分もユースを縛っていた。"護る存在"として言葉の呪縛を放っていた。 自分だけ満足して相手のことを考えなかった――今までそう呼ばれてどう思っていたのだろうか。
「けれど私には力がないから何も護れない……能力だって扱いきれず迷惑ばかりかけてしまっています。こんな私、必要なんかないんだと何度も思いました。 でも、こんな状況だからこそ思う事があります。必要ない人なんかいないんじゃないかって……だから生きてみたい。 必要とされたい。今まで……使命のためだけに生きてきました。でも、それが終わっても私は皆を護りたい」
 願い――封印石関係での願いは度々聞いてきた。だが彼女は自分自身の欲を話したことはない。
「封印石が集まりきるまでは……アーチェと私、その関係でも構いません。ですが終わったら一からまた始めましょう? 初めて会った時のように」
 また新しく始められるだろうか、アーチェは不安でたまらなくなる。今の関係を切り崩すことができるのだろうか――
「……解りました。ではここから脱出しましょう。そして……戻りましょう?」
「はい」
 ユースの了解の言葉を聞くとアーチェは全神経を手元に集中した。消えうせてしまった能力、それは全て自分の心にあったのだと彼女は思った。 "信頼"、それが失せてしまっていたのだろう。
 光が立ち込めると同時に丸い球体の光となり浮いた。同時に、アーチェの頭に別の思考が入ってくる。 目を閉じれば鮮明に描かれる城の内部の様子、兵の位置。何時だかの力を使った感覚が呼び戻ってくる。 使えないと思っていた能力でもなくなると悲しいものだ。だが今はその力が必要だった。
「アーチェ……」
「あたしも、もう平気です。……ユース様・・・・
 アーチェはその言葉を一瞬躊躇したが、そう呼んだ。今はまだ護人の関係でいたい、それが彼女の願いだった。
「これで兵の配置は解ります。……この先辛いですよ?」
「望むところです」
 ユースはそう答えると今度は蒼い光が立ち込めた。 光は鉄格子を包み込むと、一瞬でそれを消し去った。能力である"創造"の力は別枠だ。 隔てていたものが消えアーチェはユースのほうへと歩んだ。
 少女の姿は始めて出会ったときと同じで汚れきっている。またここから始めるのだ。
 アーチェは座ったままのユースに手を差し伸べた。あのときのように――
「……無理はなさらないで下さい。それでは行きましょう」
「はい」
 ユースはアーチェの手をとり微笑んだ。
 以前よりもほっそりとした冷たい手を引っ張り上げ、彼女はよろつきながらも立ち上がった。 二人は向き合うと了解の相槌をうった。"情報"の能力をもとに城から抜け出すために走り出した。


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