第4章 41話 紅き弔い〜夢から覚めて〜
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 視界に映ったのは見知らぬ場所だった。
 蒼、海よりも深い蒼さで覆いつくされている。 下を見れば地があるのではなく鏡――水鏡と呼ぶべきか、波紋を成しながらも自分を映し出している。 何故そんな場所に立っているのかは解らなかったがゆっくりと前へと歩ける。 裸足なのに足元から温度が感じられなかった。ふと、辺りを見回すと自分を取り囲むように白い幹で背の高い樹木が何本も生い茂っていた。 葉は硝子の破片かと思うほど透明で鋭利なものであり、それに触れた彼の指からは鮮やかな血が垂れる。
(痛みが……ない)
 痛みが感じられない。夢――夢をみているのだろうか。
 だとすれば現実味のないこの景色も理解できる。
 空気が止まっているように感じられるのはそのせいだろうか。 音もなく静寂な時間、自分以外のモノ全ての時が止まっている様で気味が悪い。
 何故このような夢を視ているのか彼は不思議だった。 初めてみる景色、心当たりなどあるわけがない。
 シャンっと鈴のような音がした。それのした方向へ彼は走った。 何故だかは解らない。唯何かが自分を呼んでいるような気がしたのだ。 そして案の定、彼は自分を呼んだと思われる人物を見つけた。
「ユー……ス」
 彼女が見ているのは遠い先で瞳は虚ろだ。
 けれど銀色の長い髪、蒼い瞳、あの白い肌を知っている。 いつも微笑んでいるように見えても裡では泣いている哀しい人――知っている。
 まだ伝えきれていない。想いでおかしくなるほど求めた者であり捜していた人物、彼女に駆け寄ろうと彼は走った。 だが目に見えない壁があり辿り着くことができない。硝子のような壁で遮られているのだ。
 自分と同じ水鏡の上、数歩だけ歩けば彼女がいるのに――泣いていた。 自分の姿に気付くことはなく、唯うつ向いて涙を流すばかりだ。 いくら走っても辿りつけない場所に彼女はいる。 手を伸ばしても見えない壁で遮られている。 いくら声をあげて名を呼ぼうと、何度も壁を叩こうと彼女は気付かない。
 気づいて欲しい、だが彼女は泣いたままこちらを見ることはない。 彼はどうすることもできず見ていることしか出来なかった。
 想いに伏しているとき、彼を白い光が包み込む。菱形の石――封印石だ。 懐に入っていたのだろうか、次に黒の封印石が光だす。
 二つは宙に浮き彼の行く手である壁に吸い込まれていき小さな穴を開ける。 その穴は彼がくぐるにしては小さすぎた。そして蒼い封印石。 だが蒼い石だけは球体で光は発生しない。
 だからだろうか、道が開けないのは。
 そうして彼は夢から覚めた。突き上げた左腕が虚しく、紅い印を途絶えさせた包帯からまだ血が滲んでいた。
「またかよ……くそっ……」
 何度その夢を見ようとも結果はいつも同じだった。 幾度と無くそれをみても夢の中の自分は夢だとわからず期待してしまう。 彼女が振り向く事はなく、壁がなくなることもなく目覚める。 空にきっした左腕――同じなのだ。
 せめて夢だけでもいい思いをしてみたいものだった。
 彼はベッドから降り、ゆっくりと立ち上がった。寝汗をかいたせいか落ち着きは無く、再び眠ろうにも無理だったからだろう。 左足を引き摺りながらも窓のそばへと駆け寄った。日はまだ出ておらず、闇で満ちていた。 空気が肌を刺すほど冷たい部屋に独り、空を見ていた。 雲がかかっているのか空に瞬く星や月は見つけられない。靄がかかった自分の心のようだった。
 ふと目を落とすと、窓脇の縁に蒼い球体は淋しく置かれていた。彼はその元の所有者のことを思い浮かべながら手に取り存在を確認した。 既にあの日から一ヶ月が過ぎようとしていたのに彼は気付き哀しくなった。
 白黒になった記憶――彼はあの日のことをまた思い返した。

*…*…*…*…*

 静まり還った樹海に独り――彼は蒼い封印石を右手で強く握りしめた。左腕は力が入らず、処置で血を止めたがだらんと垂れており感覚が無かった。 そんな中で、石を握り潰すことなど不可能に近いことは彼でも解っていた。 だが、今の彼は沸き上がる何かしらの感情を何かにぶつけなければ自分を保つことなど出来なかったのだ。
 はっきりとしたことは解らず、善悪すら解らず、現状は何もかわらなかった。
(あいつはもういないんだな……)
 絶望がまた彼を襲う。何をしていいのかさえ解らない。彼女――エルエンではなくユースと話をする機会はもうないのだろうか。もどかしさばかりが焦らせた。
(……こんな石があるからっ!)
 彼は握りしめた右腕を振り上げ、石を地へと叩きつけようとした。全ての元凶を――
「君が……ヴァン?」
 不意をつかれ、彼は身を強張らせた。不自然なまま固まった右腕をゆっくり降ろし、声のした方をまじまじと見た。
 夜深い闇だというのに、そこには太陽が在るのではないかと思う程、金の粒子を身に纏った女性がいた。緩く波打つ金の髪は上でしっかりと結んでおり、その姿は御子否ジルハを思わせるようだった。瞳も同色であり、その視線は彼を貫いた。
 呟くように彼は返事をした。了承の言葉を聴いた彼女は微笑んだと思えば哀しそうな顔付きへと変わる。長い睫毛が伏せると同時に彼の側に近寄った。
「その怪我はエルエンがやったのね……」
 彼女から発せられた人物の名が彼を覚醒させた。
「誰なんだ……あんたは……」
 何故その名を知っているのか疑問が浮かび彼は荒がった声で女に尋ねた。
「私はレイ=リリス=アロン。地界の魔族です」
「アロン……だと?」
 彼女に刻まれた名前の一つにヴァンは聞き覚えがあった。彼が知っている人物で同じ者がいたのだ。
「ジルハ=アロンは私の末裔。……私が王族であるアロンの一族に魔族の血を齎した者。理解できましたか?」
 突飛抜けたことに彼は混乱した。アーチェの話では随分昔の人物だった。だが目の前にいる人物の外見は自分よりも少し年が上程度だと思っていたのだから。 三界の時間軸はずれていると解っていても驚きは隠せなかった。
 訊きたいことがありすぎて、彼は握っていた石をよそに彼女の腕を掴もうとした。だが感触がまったくなく、その場にがくんと倒れこんだ。 彼女の実体はそこにあっても透明なのだ。
「なっ……」
 ヴァンは彼女が先程自身が魔族だと言ったことをぱっと思い浮かべた。彼らは能力とは別の力である魔術を使うのだ。 以前、御子らに幻術をみせられたように彼女も今それを使っているのだろうか。
「私の実体は地界に居ます。……先に言っておくべきでしたね」
 彼女はそう言うと、ヴァンの動いていない左手にそっと手を重ねた。 だが触られている感覚は無く、空気そのものだった。
「……幻術でわざわざこんな所に来て何の用なんだよ?」
 ヴァンは鋭い眼差しで彼女を見た。訊きたいことがあっても魔族――彼らは人界にいないのだ。信用したいのに出来ないというのが彼の本音だった。
「私はあなたの意志を知りたくて来ました」
「俺の……意志?」
「あなたはエルエン……いえ、あの少女を取り戻す覚悟はありますか?」
 その言葉にヴァンは軽く苦笑するとまたレイを睨みつけた。
「あいつを……だってユースは消えたんだぞ!? 目の前で別人になって、俺やアーチェを攻撃して……死んだも同然だ」
 彼は言葉を吐き捨てるように叫んだ。
 ユースの意思はもうなく、残ったのは破壊神と自身を称した存在だけだった。 自分の言葉をそれで確認するとヴァンはまた虚しくなってきた。夢ならば――と、事実として受け止めたくなかったのだ。
「そう決めつけないで。まだあの子はエルエンの内にいる」
「何で解るんだ……」
 あの場にいなかった彼女がなぜ解るのか、内心でいらつきが募る。
「エルエンはあの少女の身体を器としている。今はエルエンの自我の方が強いから表向きには彼女が出ている。 けれど元は相容れない存在。本来の身体の主である少女を失えば身体も滅び自然と死に向かうはず。 だからエルエンは少女を消せない。むしろ内で護っているに等しい」
 ヴァンは目を丸くした。回っていない頭でゆっくりと言葉を噛み締めて口を開いた。
「本当……なのか?」
 それを肯いたレイを見て彼は右手をぎゅっと強く結んだ。いつの間にか、また転がっていた封印石が感覚の無い左手にこつんとぶつかった。
「俺は……ユースを取り戻すためなら何でもやる。……あいつに謝らないといけないんだ」
 ――護れなかったことを、悩んでいたことに気付けなかったことを、言葉で傷つけてしまったこと――何を謝りたいのか彼自身でも解らなかった。 だが謝って、そしてまたいつものように話ができれば――それだけで良かった。
「私の話信じてくれるの?」
 彼は突飛抜けた話をしたのは彼女なのにそんなことを言われてしまえば疑いたくもなった。 だが今は彼女の話を希望の糧にしていかなければ自分の心にある苦しみが溢れ出てしまいそうだった。
「作り話にしては……出来すぎだよ。……でもあんたは何でそんなこと知ってるんだ?」
「私は……エルエンを封印した者……だから解ります。そして今の貴方の気持ちも――」
「封印した……?」
「また、話をしましょう。今は怪我を治して……時が来たら私の末裔を呼びに行かせます」
 空気に溶け込むように金色の光を放ちながら彼女は消えていった。そして入れ違いに彼女の末裔であるジルハの姿が現れた。


 朝日が昇った。暗い樹海に注ぎ込まれた美しい光にヴァンは心を奪われた。

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