第4章 42話 紅き弔い〜侵入者〜
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 消毒液の匂いが鼻を刺激した。もともと強い匂いが苦手なヴァンにはカナタの診察は辛かった。
 ヴァンの自宅は両親が医者だったこともあり、それなりの設備が整ってはいる。 だが彼は記憶を無くしてから家に戻ることは少なく、また医療関係に興味を持ってはいなかった。 自宅でも寛ぐことはできず、過去の惨劇を思い起こされそうになる。 だが彼はあえて休息場にルーガスの自宅を選んだのだ。
 飛空艇でも変わりは無かったのだが空を漂うよりも地に休息を求めたかった。 また、カナタの本拠地であるソールライトでも構わなかったのだが、 何かしらの情報を得るにはルーガスの方があっていたのだ。

 慣れた手つきでカナタはヴァンの左足首を固定するための包帯をきつくしめた。 何重と巻かれたせいか靴になかなか入らず苦戦しながらもやっとのことで履き、すくっと立ち上がった。
「一応それで完治ってことでー」
 カナタは薬箱を閉め、仕事終わりの小さな溜息をついた。
「……軽く言うなよ」
「悪くいうなってー。左腕はどう、しっかり動くかー?」
「こっちは平気だ。しっかり動くよ」  ヴァンは左の腕をぶんぶんと回した。 まだ包帯を巻いているが支障はない。彼はジャケットを羽織ると部屋を出ようと歩き出した。 だが左足を少し引きずっていた。彼は足が鉛のように感じるのだ。 一ヶ月前に負った傷跡は未だ深く彼に棲みついている。
「また傷口開いていたけどそれだけ動かせるなら腕は平気だねー。 左足は……まだ暫くはあれだけどなー……」
 カナタは彼の左足をじっと見つめた。それ以降の言葉は躊躇い何もいえなくなったのだ。 それに気づいたのか彼はにっ、と笑った。
「大丈夫だよ。まあ、そんなに支障ないはぶっ――」
 いきなりカナタの視界からヴァンが消えた。 なぜなら彼は自分の左足にでも引っ掛かったのか顔から床にぶつかっていたのだ。 カナタはそんな彼を心配しつつも指をさしながら笑った。笑い声に交じって「支障あるだろー」と聞こえたのは気のせいだろうか。 彼はじんじんと痛む鼻の頭をさすりながらもゆっくり起き上がった。
「やっぱりあと一週間は様子みるかー?」
 やっと笑いが治まったのか、カナタは目じりに溜まった涙を指で拭い取った。 そして彼の鼻の頭が擦りむいていることに気がつき、閉まったばかりの薬箱をまた取り出した。
「……っ、平気だ! 約束だってあるんだし」
「馬鹿だなーお前」
 ヴァンは反論しようと口を開いたがすぐさまカナタに鼻頭に絆創膏を貼られた。
「焦りすぎなんだよ。もうちっと気ぃぬいても平気だって」
 むすっとしながらもカナタの言っていることは真実だと彼は思った。 確かに焦っているのかもしれない、気を張り過ぎているかもしれない。 気持ちばかりが先にあり動かない身体が憎らしい。
「なーに朝からピリピリしてんだ?」
「別に……カナタの言うとおりただ焦っているだけだよ。……アーチェの方は?」
 ヴァンは話を切り替えた。一ヶ月前傷を負ったのは彼だけではないのだ。 むしろ彼よりもアーチェの方が重傷だった。 アクティでの傷が癒えきってないなか、エルエンの攻撃をうけた彼女はぼろぼろの状態だった。 また、能力を奪われたらしく身体が変化についていけないせいか中々目覚めなかったほどだ。
「変わりはないよ、まだまだ安静。今は薬で眠ってるかなー」
「まだ話せそうにはないか?」
「まだ混乱しきった状態だからなー……精神が落ち着かない限り、かな。 まぁ俺が看てるよ。さてと、お前今日はどーすんの? ジルとの約束は明日だろー」
「……本部に行くんだ。カシラに用もあるし」
 ユースのことを本格的にする前に、自分の決着をつけたかった。 そうでないといけない気がしたのもあったのだが彼は真実が知りたかったのだ。 だからこそ先延ばしにしていた過去と決別しにいくのだ。
 カナタは興味のなさそうな空返事をした後ヴァンの顔をまじまじと見た。 彼の表情は一段と曇っており、呆れるほど解りやすかった。 彼に聞こえない位小さな溜息をつくとカナタは腰元の短剣を手に取った。
「なあヴァン、お前の剣折れたんだよなー?」
「ああ、結構気に入ってたんだけどあっさり折れやがった」
 硝子のように透明な刃を持った剣は、能力に耐え切れず真っ二つに折れたままだった。 ヴァンの腰ベルトにぶら下った剣は唯の飾りに過ぎないのだ。
「ほらっ」
 カナタはヴァンに向かって短剣を投げた。 ヴァンはそのカバーを外すと、刀身は自分の剣と同じで硝子のように透明だった。 唯ちがうのは長さだけともいえるほど、彼が長年愛用していた剣にそっくりだ。
「短剣だけど持ってきなー。本部で何が起こるか解んないしねー」
 一瞬ヴァンはそれを躊躇った。自分がいまから本部に何しに行くのかカナタは解っているののかもしれない。 それをしたくないと、認めたくない気持ちも確かに有るのだ。だが今はこれが――力の象徴が必要なのかもしれない。 何が起こるか解らない、確かにその通りなのだから。
「……借りてくな」
 少し間を空けて彼は答え、ゆっくりとした足取りで部屋を出て行った。
 ドアがパタンと音を立て、人の気配が無くなった頃カナタは髪をくしゃくしゃとかき上げ、もう一度小さな溜息をついた。
「さてと、……俺も行くかな」
 カナタは自分の荷物から白地のシャツを取り出した。 いつも着ている獣人族特有のすこしゆったりとした服ではなく、ぴしりとしたものだった。 それを着込むと今度は紅月の証がはいった小さな肩掛けを取り出した。
 肩掛けは大分古くなって端はぼろぼろに痛んでいた。紅月の証が途切れている箇所もある。 己が紅月に入り随分たったものだな、と思い出し笑いをした。
 そして彼は部屋を後にした。

*…*…*…*…*

 部屋で紅月のカシラはデスクの上に独り座っていた。 大きな窓から差し込む光は暖かみが感じられ殺風景な部屋にも温もりが宿っている。 だがルーガスでの権力者はそんなことはどうでもよかった。
 仕事――やることはまだたくさんあるのだがどうしても乗り気ではない。 他国との機械開発のために国には久しぶりに戻ってきたのだ。 仕事が山積みになっているのにもかかわらず今の状態だ。 いつも傍にいる秘書、否、護衛は今は下がらせていた――何かが起こる予感がするからだろうか。
 カシラは傍にあったカップを手に取るとずずっと音をたてながらも眠気覚ましようのコーヒーを一口飲んだ。 だが既に冷えており、これ以上飲む気にはなれなかった。
 仕方がなく彼はカップを置き外にいる秘書を呼びまた淹れなおしてもらおうとした。 ぐっと背伸びをしつつも歩き出した彼は窓の外が目に入りドアとは反対の方へと進んだ。 窓から見える国――ルーガスの風景はいつも通りだ。この部屋と同じぐらい殺風景なもの――なんとかしたかった。
 そんな気分に耽っていたせいか彼はドアが開いたことに気がつかなかった。 遅れて窓ガラスに映ったそれに気がついたときにはもう遅く 部屋の暖かな空気が殺気に満ちており一瞬にして侵入者に背後を取られた。
「……何の真似だ?」
 首に短剣の刃が押し付けられ、その下にある頚動脈の血が一瞬凍りついたかのような 冷たさが全身に広がりとカシラは一瞬強張ったがまたいつものような厳格な態度へと戻った。 これほど気配を消せるものなのだろうか、と感心しつつも侵入者――ヴァンの行動を咎める。
 その厳格な姿はヴァンが今まで見てきカシラの姿そのものであった。 浅黒い肌に映える白く肘まである長い髪は金で出来ているであろう装飾品によって一つに結ばれている。 そして顔に残る大きな刀傷、屈託のない瞳、低めでも聞き取りやすい声――偽者ではない。
「答えて欲しいんだ。俺の両親を殺した理由をな」
 言葉にぴくりと首筋が動いたのはヴァンの気のせいではないだろう。
「何を知った?」
「……早く答えろよ」
 ヴァンはもどかしさでおかしくなりそうだった。 そして未だに殺されるかもしれないと解っているカシラの心理が解らなかった。 短剣はまだ首から離れていない。
「何のことだか俺にはさっぱりと解らん」
「誤魔化すなっ! 俺は……もう知ってんだよ! 思い出してんだ!  あの時の……父さんと母さんの叫びが耳から離れない。苦しみながら死んでいく光景がっ……」
 ヴァンはそこで言葉がつまった。 言葉にすることがもうできなかったのだ。もう両親のことで泣かないと決めていた。 だが心とは裏腹に頬を伝う涙が止まらない。決心が弱い自分に腹が立って仕方がなかった。
「不本意なやり方で俺は記憶を取り戻した。 暫くは眠れなかったさ、毎晩夢にみるんだ。信じたくなくても本当のことなんだろ」
「あぁ、その通りだ。俺がお前から両親を奪った。それで満足か?」
 向けた刃先が振るえるほどヴァンは柄に力をこめた。 カシラの放った言葉は冷めたもので今まで接してきた彼とは違った。 心のどこかでまだ信じていた部分があったのだろうか、彼は裏切られたような気がしてならなかった。
 封印石の欠片が影響したとでも思いたい。だが石が飛び散った時期は両親が殺された後のことなのだ。 ヴァンはぎゅっと結んでいた口をゆっくりと開きカシラに問いかけた。
「……カシラ、教えてくれ。なんで殺したんだ」
「それは言えない」
「なんでだよっ!」
 答えて欲しかった。そうでないと納得がいかないのだ。 たとえ両親が彼を恨んでいなくても自分はうらむ理由があるのだから――
「……言っても只の言い訳になる。殺したことに変わりはない。 それで満足出来ないなら俺を殺すなり自由にしろ。お前には俺を殺せる理由があるんだからな」
「っ―――」
 ヴァンは堪らなくなり刃先を横に振った。その場に不快な音が響いた。
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