第4章 43話 紅き弔い〜裏切りを越えよ〜
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
なぜ生きているのだろうか、そう問いかけても解らなかった。 目を覚ませば未だ見慣れない天井が目につく。 飛空艇の自分の部屋ではないこと、それが旅が終わったことを悟っている。
「ユー……ス様……」
 夢から覚めてしまったのをがっかりとしている自分がいた。 内容は覚えていなくともあの旅の思い出に違いない。 一筋の滴が目尻から枕へと落ちていった。
 アーチェはゆっくりと起き上がった。
痛みが退かず、燻っていた熱の塊が今は鎮静剤のせいだろうか、大分楽になっていた。 だが一ヶ月たった今でも包帯は取れずにいる。
 彼女は小さく息をつき、手の平を前へ差し出した。 だが己から取り戻したはずの光はもう出ない。
 欠乏症の時でも感じていた力はもうないのだ――奪われてしまったのだから。 要らないと思っていた力は今こそ必要なのではないのだろうか、 主を探す為の力だったのではないのだろうか――気持ちばかりが彼女の中で焦っていた。
 ぎゅっと手の平を握り締め彼女はベッドから降りた。 だが久しぶりに立ったせいか立ち眩んで壁伝いに移動するしかなかった。 まだ上手く動かせない身体がもどかしい。
(どこですか……ユース様……)
 彼女は自身の主を探すためだけに動いた。だが軋む扉を開き彼女はその場に倒れた。

*…*……*…*

 刃先から一滴、二滴と零れ落ちた血を見てヴァンはぎゅっと唇を結んだ。――やはり殺すことはできなかった。 カシラに刃をむけ振り切った。だが刃は首を落とすのではなく髪を切り、首皮にかすり傷を負わせただけだった。 カシラはヴァンの方をむきなおしゆっくりと下がり自身のデスクの上にどさっと座り込んだ。首元を押さえ血を見たが痛いとは決して言わなかった。
「何で殺さない? ……憎いだろうに」
 白い髪が遅れてはらはらと地に落ちていった。それは花弁のように儚く散っていった。 これ以上生きる気はないと言いたげな目がヴァンを貫いた。短剣の血を自身のジャケットで拭い鞘におさめ彼はもう一度口を開いた。
「憎い、憎いさ。正直両親を殺した奴が今こうして生きて……しかも俺の親代わりときた。あんたがそんな人だとは思ってもいなかった」
 ヴァンの否定の言葉にカシラは嗤い、鋭い眼差しで彼を見た。 それは両親を殺したときと同じような眼差しだ。瞬間的に彼は硬直した。
「俺が綺麗な人間だと思っていたのか、だったらなんで紅月が存在する? 趣味で国を動かしているとでも?  唯単に汚れた人間にもできるってことを世界中に知らしめてやりたかっただけさ」
「それを実行するのに俺の両親が邪魔だったんだな」
「そう考えたければそれでいい。ほら殺せ、心臓を一突きにすればいい」
 彼はそう言い自身の心臓の位置に手を当てた。それでも動かない彼にいらつき怖気ついたのかと挑発もしたがおさめられた短剣を手に取ることはなかった。
「……もう殺したさ。髪だってあんたの一部だろ。だったら俺はそれを殺した」
 どこかずれた答えにカシラは小さな溜息をついた。
「そうじゃないだろうが、お前の気持ちはそんなもんで俺を赦せると?」
「俺はあんたを赦そうとは思ってない。両親がそれを望んでないから……憎いけれど俺はあんたを殺さない!」
 憎い、けれど憎めないといった矛盾した気持ちが彼の中で渦巻きそれはこれからも一生消えることはないだろう。 だがそれを断ち切ろうと必死になっているのも確かだ。
 そんな自分は今どんな表情をしてこれからカシラと付き合っていけばよいのだろうか。 時間が経てば前のように話はできるだろうか――自身の問いの答えは今は解らなかった。 過去を変えられればと何度思ったか、そんな気持ちが今度は襲いかかり嫌になる。逃げるように踵を返し彼は部屋を出て行こうとした。
「お前はそんなんでいいのか」
 カシラの問いにヴァンは足を止めた。
「それが俺の――覚悟だ」
 そうして彼は部屋から立ち去った。
 声に篭った意志がカシラに届いたかは解らなくても今はそれで良かった。

*…*……*…*

 ヴァンの家から程遠く、ルーガスの港を一望できる小さな丘にヴァンはいた。 夕暮れがちかく、茜色に照らされた海は鏡のように光を反射していた。
 そこには何十もの墓が一定の空間を置いて配列されていた。そのうちの幾つかは粗末なもので荒れ果てている。 住民が少ないこの国で、後を継ぐ人がいなかった末路だろうか、などと考えながら彼は自身の両親の場へと赴いた。 土埃を被り刻まれた名ですら判別できないほど汚れていた。二年程前に来て以来彼もまた墓参りに来てはいなかったのだ。 彼が手の平で土埃をふき取ると名前が露になった。
「やっぱり俺にはできなかったよ」
 そこには誰もいないが縋るべき場所が欲しかった。本来なら天界に行き二人に報告すべきだが今は時間がない。 墓の前に座り彼は重たい口を開いた。花の一つすら持っていない自分は親不孝かとも思いながら。
「俺にとってカシラは大切な一人だから……あんた達もそんなことを望んではいなかったんだろう? 俺は殺すなんてできなかったんだ」
 両親のことを"あんた達"と称したのに違和感を覚えた。だが父さんとも母さんとも今は呼べなかった。 以前幻術で視せられた記憶で思わず口に出した言葉だが、今発すれば二人が作り物のようになってしまいそうだったからだ。 両親と過ごした時間はとても短く、鮮明ではない。記憶を取り戻してからも存在していた程度にしか覚えていないのだ。 二人という存在が一番鮮明に思い出せるのは死に際のみ。その場面でだけ父さん、母さんと呼べるのだ。
 薄情な息子だとは思っていてもそれが真実だ。
 実際目を瞑り鮮明に思い出せるのは紅月に入ってからの記憶であり、そこにはカシラが思い出の中にいる。 顔の傷はどうしてついたんだろうとか、どうして自分を育ててくれているのだろうかとか幼いながらに考えたことも覚えている。 実は本当の父親なのではないかと疑ったことがあるくらい愛されていた――そう思いたい。 たとえ偽りに優しさでも傍にいてくれたことが嬉しかった。
「前にここで誓ったな。……仇をとるって。でも俺は自分の誓いを裏切るよ」
 彼は頭を下げた。二年程前に誓った時の自分にか、それとも両親なのかはわからない。
「そしてその代りに誓う。俺はこれからも人を殺すことはない、殺さない。 胸を張って言う事じゃないし当たり前のことだけれど、ここに誓うよ」
 なんども人を傷つけ、手を汚してしまった自分。 それを取り消すことは到底叶わない夢でありそれを取り消そうとは思わない。 傷つけてしまった咎を、人として当たり前のことをしっかりと背負うと彼は決めたのだ。
 すくっと立ち上がり彼はもう一度辺りを見回した。 いつの間にか日が落ちて暗くなっていたが、海に漂う船の明かりが星の光のようだった。 灯りのある港以外は光はなく淋しい気持ちにもなった。この国がいつか活気溢れるものにかわるのだろうかなどと希望をよせながら彼はくるっと背を向けた。 別れの挨拶を心の中で済まし、彼は振りかえずにその場を立ち去っていった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――